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楽曲詳細データ 【S】

弦楽合奏曲リストに掲載した楽曲の詳細情報です。

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作曲者名 アルファベット索引
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スカルラッティ 合奏協奏曲第3番 ヘ長調
シベリウス アンダンテ・フェスティーヴォ
スーク 弦楽のためのセレナーデ 変ホ長調 Op.6

スカルラッティ,A.

作曲者 スカルラッティ,アレッサンドロ
Scarlatti, Alessandro (1660-1725)
曲名 合奏協奏曲第3番 ヘ長調
Concerto Grosso in F major
作曲年 不明
楽器編成 弦楽4部(ヴァイオリン・ソロあり)、通奏低音
演奏時間 7分
楽章構成 第1楽章 Allegro ヘ長調 4/4
第2楽章 Largo ニ短調 3/4
第3楽章 Allegro へ長調 4/4
第4楽章 Adagio (Largo) ニ短調 3/2
第5楽章 Allegro ヘ長調 12/8

説明  アレッサンドロ・スカルラッティは、コレルリとほぼ同時代の17世紀末から18世紀初めにかけてナポリで活躍した作曲家である。シチリア島のパレルモで生まれ、1672年からローマで音楽を学んで修行時代を過ごした。ローマにいるうちからオペラで成功し、84年にナポリに移住して、同地の王室礼拝堂楽長に就任した。

 コレルリがローマを拠点としていたのに対し、スカルラッティはオペラがさかんだったナポリで活動したので、代表作はオペラと室内カンタータの分野に集中している。生涯に70曲を超えるオペラを作曲する中でバロック・オペラの定型を整え、A-B-A の三部形式によるダ・カーポ・アリアを定着させた。また、オペラの序曲に急-緩-急の三部分から成る「イタリア式序曲」を導入したが、これはのちに「イタリア風シンフォニア」と呼ばれる楽曲形式に発展して古典派のシンフォニーの原型となった。

 器楽曲の数は少ないが、12曲のシンフォニアと6曲の合奏協奏曲が知られている。12曲のシンフォニアが若干の管楽器を含む弦楽合奏のために書かれているのに対して、6曲の合奏協奏曲はいずれも弦楽合奏のための協奏曲になっている。

 6曲の合奏協奏曲は作曲年代は不明だが、なぜか作曲者の没後15年の 1740年になってからロンドンで出版された。合奏協奏曲とはいうものの、ソロが活躍するのは一部の曲の一部の楽章に限られる。

 合奏協奏曲第3番はどれも短い5つの楽章から構成される。第1楽章はオープニングにふさわしく、明るく華やいだ祝典的な気分を持つ。第3楽章はフーガ風の主題で始まり、中間部でヴァイオリン・ソロが活躍する。

出版社 G. Zanibon 4121 フルスコア
G. Zanibon 4122 パート譜
CD Fabio Biondi(Vn)/Europa Galante
Virgin VC 5 45495 2 (2002年4月2日)
参考文献 皆川達夫「バロック音楽」 講談社学術文庫 (2006)

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シベリウス,J.

作曲者 シベリウス,ジャン
Sibelius, Jean (1865-1957)
曲名 アンダンテ・フェスティーヴォ
Andante festivo
作曲年 1922年12月(弦楽四重奏版)/1930年(弦楽合奏版)
楽器編成 弦楽5部、ティンパニ(使用任意)
演奏時間 5分
楽章構成 (Andante) ト長調 2/2
説明  1922年にサイナトゥサロ製作所の創立25周年記念の祝賀曲として作曲を委嘱され、その祝賀会場で初演された。このときは弦楽四重奏曲であった。シベリウスはこの曲をたいへん気に入っていたらしく、1930年に弦楽合奏曲に改訂しており、今日ではほとんどこの弦楽合奏版で演奏される。この版では、ティンパニは使用任意と指定されており、曲の最後4小節にバス・パートの音をなぞるように登場する。

 祝賀会のために作曲されたので、アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭的アンダンテ)と名付けられたが、曲名から連想される祝典の華やかさよりは、厳かな儀式にふさわしい荘重な宗教音楽を思わせるような曲想となっている。交響曲第6番(1923年)、第7番(1924年)とほぼ同時期に書かれた、シベリウスの創作期最後に属する傑作である。

出版社 ウェスタールンド社(ヘルシンキ) R.E.Westerlund
カルマス社(ニューヨーク) E.F.Kalmus A5702
CD  
参考文献 音楽之友社編「作曲家別名曲解説ライブラリー18 北欧の巨匠」 音楽之友社(1994)

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スーク,J.

作曲者 スーク,ヨゼフ
Suk, Josef (1874-1935)
曲名 弦楽のためのセレナーデ 変ホ長調 Op.6
Serenade for strings in E flat major op.6
作曲年 1892年夏、秋
楽器編成 弦楽5部
演奏時間 30分
楽章構成 第1楽章 Andante con moto 変ホ長調 4/4
第2楽章 Allegro ma non troppo e grazioso 変ロ長調 3/4
第3楽章 Adagio ト長調 4/4
第4楽章 Allegro giocoso, ma non troppo presto
      変ホ長調 2/2

説明  スークはドヴォルザークの次の世代のチェコの作曲家で、同姓同名のヴァイオリニスト、ヨゼフ・スーク(1929-)の祖父に当たる。早熟の天才で、幼いころからヴァイオリンを学び、1885年に11歳でプラハ音楽院に入学した。91年からは同音楽院でドヴォルザークに師事して作曲の才能を認められ、のちに師の娘オティリエと結婚した。

 音楽院を卒業した1892年の夏、スークはプラハ南方のヴィソカー村にあったドヴォルザークの別荘に招待され、のちに妻となる、当時14歳のオティリエと出会った。ドヴォルザークは、それまで短調の暗い曲ばかりを作曲していたスークに、少し気分転換して明るい曲を書くことを勧めたのだという。

 別荘から故郷の村に戻ったスークは早速、弦楽合奏のためのセレナーデの作曲に取り掛かり、その夏のうちに最初の3つの楽章を一気に書き上げた。秋になって終楽章のインスピレーションを得て全曲が完成した。若いスークのオティリエへの想いがストレートにあふれてくるかのような曲想がこの曲の最大の魅力となっている。そこには恩師ドヴォルザークの「弦楽セレナーデ」(1875年)をお手本としながらも、独自の個性が息づいているのが感じられる。

 プラハでの初演(1894年)は好評で、当時ボヘミア弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として知られていたスークは、この曲によって作曲家としても認められるようになった。

 1896年、出版社ジムロックは、ブラームスの勧めでこの曲を作品6として出版した。

出版社 カルマス社(ニューヨーク) Kalmus A1079 スコアとパート譜
CD Jiri Belohlavek指揮/Prague Chamber Philharmonic Orchestra
Supraphon SU3157 (1996年10月28日)
参考文献 佐川吉男「チェコの音楽 −作曲家とその作品」芸術現代社 (2005)

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   更新日 2008年10月5日